監督 石井裕也

profile

1983年6月21日生まれ。埼玉県出身。大阪芸術大学の卒業制作『剥き出しにっぽん』(05)でPFFアワードグランプリを受賞。24歳でアジア・フィルム・アワード第1回「エドワード・ ヤン記念」アジア新人監督大賞を受賞。ロッテルダム国際映画祭や香港国際映画祭では自主映画4本の特集上映が組まれ大きな注目を集めた。商業映画デビューとなった『川の底からこんにちは』(10)がベルリン国際映画祭に正式招待され、モントリオール・ファンタジア映画祭 で最優秀作品賞、ブルーリボン監督賞を史上最年少で受賞した。『舟を編む』(13)では第37回日本アカデミー賞にて、最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞、また米アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に史上最年少で選出される。『ぼくたちの家族』(14)では、家族の絆を正面から描き、国内外で高い評価を得る。『バンクーバーの朝日』(14)では1930年代のカナダを舞台に、日経移民の苦悩や葛藤を丁寧に描き、日本国内でヒットを記録するとともに、バンクーバー国際映画祭で観客賞を受賞した。今、世界中で最も新作が期待される若手映画監督である。

原作者 最果タヒ

profile

1986年生まれ。06年現代詩手帖賞を受賞。07年詩集「グッドモーニング」(新潮社)で中原中也賞受賞。12年詩集「空が分裂する」(新潮社)、14年詩集「死んでしまう系のぼくらに」(リトルモア)刊行、後者で現代詩花椿賞受賞。小説家としても活躍、15年「かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。」「星か獣になる季節」、16年「渦森今日子は宇宙に期待しない。」「少女ABCDEFGHIJKLMN」などがある。16年には初のエッセイ集「きみの言い訳は最高の芸術」を刊行。本作の原作となる第4詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」は16年5月にリトルモアより刊行、重版を重ね詩集としては異例の27,000部を発売。また最新作、小説「十代に共感する奴はみんな嘘つき」(文藝春秋)が現在絶賛発売中。

comment

 自分の人生だとしても、その全貌など見えやしない。生きていくことの果てにあるものをひとつずつ、ちいさいものを、ひとつずつ拾って、明日ぐらい、明後日までとはいかなくても、明日ぐらいは照らしている。人生の果てに、いったいどんな景色が広がるかなんてわかるはずもなかった。ただ、明日に少しだけ、ほんの少しだけでも「いい予感」がするなら、それだけで十分だ。生きるっていうことは思った以上に刹那的なもので、決して積み重ねていくことでも、記録していくことでも、自分を作っていくことでもないのかもしれない。この映画を見ていて、何度もそう思った。ただ、私とは関係ないところに波打っている命があって、そこから放り出されないように、そのときそのとき、できるかぎりバランスをとって波に乗りつづけている。私が見るべき私の命はきっと今、この瞬間のものだけだ。
「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」、今という一瞬でしかない時に、全身を投げ出すようにして生きる人々の映画でした。どんなに親しくても、そばにいる人たちの過去に何があったのか、すべてを思いやることなんてできないし、同じ未来を生きることなど約束できるはずもない。だからこそ、せめて、彼らの「今」に不恰好でもいいから、取り繕わずに飛び込みたい。器用であることや、人生そのもののつじつま合わせのように透明になって生きていっても何も残せないだけだ、誰の記憶にも残りやしない。この映画には、無根拠で無遠慮な明るさなんて一つもないけれど、でも「今」という生に対して、ひたすらにポジティブだった。みっともなくてもぶっきらぼうでも、それでも「今」そのものを生きたとき、それはきっと愛らしい姿をしている。そう、強く信じることができる映画です。

 私は詩を書いていて、ずっと、不器用にしか、下手くそにしか、「今」を生きることができない人たちに、届く詩が書きたいと思っていた。誰にも理解されなくても、気持ちをうまく説明できなくても、それで別にいいんだ、「今」をうまくやりすごす必要なんてない。わかりやすさばかりを優先して、自分の不器用な部分を捨ててしまわないでほしい。ありのままになればなるほど、曖昧で、言葉にできない感情は増えていくけれど、そこまで届く詩を、いつか書くから。書いてみせるから。
 愛おしい不器用さに溢れた、この映画が私の詩集をもとに作られたという、そのことが光栄でなりません。願わくは、多くの人に観てほしい。自分自身の「今」を不器用な手つきで抱きしめようとするすべての人に。